2025.06.11 14:40
【インド??エチオピア??そしてマダガスカル??】】


こんにちは?Bonjour
C'est le matin
小さな頃から大草原があるアフリカに憧れていた
何年か経ち大人になるにつれて、その願望は忘れ去られていった
日々の忙しさと喧騒により..
しかり心の奥では決して忘れたわけではなかった
日本から近くの国であれば何ヵ国が行ったこともあるが、心が満たされない
世界ってこんなものだったんだろうか..
疑問を抱えながら生きて行くことになる
しかし、渡韓中、空港で突然思い出したように、マダガスカル行きの航空券を買った
もう、後には引き返させない為だ
行くしかない
マダガスカルは日本人からすると、危険レベルが高く、注意喚起が行われている国だ
まさかそこに母娘2人で行くなんて、凄い と思われるレベルだ
わたしはツアー会社をしていたのでわかるが、ツアーに参加して大人数で行動する奴らは大したことがない
日本人に多い
わたしは自立しているので、グループ行動が嫌いだ
どんな時も自分の考え、信念に基づいて生きている
2014年、娘がまだ7ヶ月の時にフィリピンに行った
舗装されていない道路、整っていないインフラ 上半身裸でニコニコしてみんな明るい
日本にいる頃は、とても窮屈で苦しかった
何をしても目立つし、否定される
こんな国嫌だ と思っていたので、フィリピンの魅力にハマっていった
1週間後、帰国して1ヶ月以内には娘を連れてセブ島に移住していた
このわたしの行動力を、多くの日本人は賞賛している
しかし、2018年、コロナウイルスにより飛行機が飛ばない為、ビジネスダウンに伴い日本に戻り、娘の英語を全て忘れさせて、0から日本語を教えた
今ではその経験からか、日本で問題なく勉強もスポーツも優秀だ
しかし、日本はとても優しくて国に守られているので生きやすい
その環境こそが、娘を甘やかす





そして、たっぷり時間があったので
海辺でエッセイを書いてみたよ
インターネットで検索?してもこの情報は出てこない...実話
モロンダバの海辺にて
言語選択が示すマダガスカル社会の深層構造
2025年6月、私はモロンダバのホテルに滞在していた
ある午後、海辺を歩いていると、ふたりの現地青年に声をかけられた
「英語は話せますか?」という問いに対し、「Yes」と返すと、
彼らは「英語を練習したいから少し付き合ってほしい」と申し出てきた
やがてわかったのは、彼らはフランス語を「理解はできる」が「話すのは嫌い」と語ったことだった
理由は明確には語られなかったが、私の中にひとつの仮説が芽生えた
言語は、単なるコミュニケーションツールではなく、歴史と感情の記憶を孕むアイデンティティの一部である、ということ
その場には偶然、英語が話せない日本人観光客も居合わせていた
彼がフランス語で彼らに話しかけた際、一人の青年が英語でこう返した
「ごめんなさい、私たちはフランス語を話すのが好きではない」
この一言が、脳裏に強く焼きついた
マダガスカルは長きにわたりフランスの植民地であり、現在も公用語はマダガスカル語とフランス語の二つである
だが実際の言語教育には、**「フランス語コース」と「マダガスカル語コース」**という社会的階層を強く意識させる構造が存在している
前者は私立学校中心で、教育コストも高く、経済的・社会的余裕が必要とされる
つまり、フランス語を「話せる」ということは、その人が一定以上の教育・階層に属してきたことを示す可能性が高い
一方、日常会話でフランス語を“あえて避ける”という態度には、
過去の植民地主義に対する無意識下の拒絶、
または“言語による上下関係”への反発心が反映されていると読み取ることができる
教育やビジネスの場面においては依然としてフランス語が有効である一方、
観光業・国際ビジネス・情報収集・テクノロジー活用といった分野では、英語の優位性が年々増している
それゆえに、若者たちは「フランス語を話せる」が「英語を話したい」という、揺れ動く選択の只中にあるのだろう
この小さな海辺での対話は、
マダガスカルが“過去の植民地主義”と“未来の国際化”の間で、
言語という極めて日常的な行為を通して、静かに葛藤し続けている現実を私に教えてくれた
そして私は強く感じた
これからのアフリカとの関係を考える上で、英語こそが「共通項」を生み出す道具になりうると
連絡を下さる本指名様とはやり取りしたいので、懲りずにLINEで連絡ください?
そろそろ、気持ちも環境も未来のことも落ち着きましたので?sumire1jou@gmail.com
LINE?pineapplede
それとね、Xはフォローしてください?
Xが一番投稿数が多くてタイムリーです?