おはようございます
毎日冬らしい寒さが続きますね陽が傾くのも早くなって、14時ごろでもう夕方みたいな西日なので何だか寂しい気持ちになります
明後日の冬至を過ぎればだんだん昼間が長くなりますね冬本番はこれからですが、早く春にならないかなあと思っています
本日15:00〜23:00、明日13:00〜23:00で出勤していますお時間があればぜひ^^
………………………………………………………
今回は宇佐見りん「推し、燃ゆ」2020年の芥川賞作品です
あるアイドルグループのメンバーを猛烈に「推す」ことに全てを懸ける、ひとりの女子高生が主人公ですある日、彼女の「推し」がファンを殴ったというスキャンダルよって「炎上」してしまうのですが、やがてそれは主人公の推し活、延いては日常にも影響を及ぼしてゆきます…
主人公のあかりにとって皆が普通に出来ることが彼女には難しく、学校や日常の生活に大きな困難を抱えていますそういう生きづらさに苦しむ中で、彼女は推しを推すことは人生の「背骨」となっており、「生きる手立て」であると言い切るのです
?錫鮠わたしは今までの人生に「推し」と呼べるほどの対象がいたことがありませんなので「推し活」というのが理解し難いというか、勿論好きなものにお金を使うことの楽しさは分かるのですが、彼女乃至彼らを推し活に突き動かすものは、恋とか愛とかそういう類いばかりではないような感じがしますじゃあどういう気持ちが原動力となって、お金と時間を推しに費やしているのかなと常々疑問に思っていたのです…
推し活に対するスタンスとかモチベーションは様々かもしれませんが、きっとこの本の彼女みたいに、誰もが大なり小なり抱えている欠乏感を埋めるため、という人たちも多いのかもしれませんね
気になったのは、次の言葉です
『……ステージと客席には、そのへだたりぶんの優しさがあると思う。相手と話して距離が近づくこともない、あたしが何かをすることで関係性が壊れることもない』
自分から推しへの想いはどこまでも一方的で、そして距離も一定ですそして推しに見返りを求めないからこそ、受け取りたいものだけを受け取ることができるのですよね
でも苦しみの中で自分を支えたり、人生の核とするにしては「推し
」は脆すぎるような気がします推しとか推し活から得られるのは一時的な興奮であって、主人公が抱えているような欠乏感、生きづらさの根本的な解決にはなり得ないのでしょう…
最後にちょっと私の考えを述べると、「推し活」というのは日常への「効きが良い」のだと思います供給されるグッズやイベントにお金や時間を貢ぎ、それを同じ界隈で共有することによって一層の興奮が生まれるスポーツとか楽器とか、何かに打ち込んで練習を重ねて成功体験を得るような趣味よりも、興奮へのアクセスが簡単なのではないかと思いますこんなにタイムパフォーマンスが良い趣味は他になさそうですから、多くの人が打ち込むのかな、なんて考えました
冬はラーメンに限ります